プロフィール

てぃーたいむです。 介護福祉士(介護士歴11年)、認知症ケア専門士

東京在住:夫、娘と3人暮らし

~遠距離介護の経緯~

2012年頃、子育てが落ち着き、社会復帰を考える中で事務職の仕事より、介護の仕事はやりがいがあるし今後の人生に役に立つのでは、とヘルパー2級の資格取得をしておきました。

2014年特別養護老人ホーム、2016年訪問介護の常勤職員(正社員)で4年ほど立ち介護福祉士を取得していました。サービス提供責任者も経験しこれから益々勉強していこうという時でした。

2019年実家の父(2015年腎盂がん発症)の遠距離介護。主に母(2017年GIST発症)が自宅で世話をしていましたが、母は車の運転はできないし、医療の話も一緒に聞いておかなくてはならないので通院日の月1.2回の帰省始まりました。

その頃、自宅の引越しを機に新しい訪問介護事業所で社員になる予定で入社したが、休日がローテーションで定期的に変わるとのことでした。

遠距離なのでどうしても連休は必要。ここでは仕事と介護の両立が不可能と諦め、では社員ではなく登録ヘルパー(パート)に契約変更しましたが。時給では拘束時間に見合わない薄給のため結局退職しました。

そこで特養で週4日の派遣社員に。一年もしない間にすぐに社員の話があり、給料交渉と遠距離介護の事情も話し、シフトで対応できることもあり常勤職員になりました。

2020年頃~コロナ禍になり帰省困難。

当時は致し方なかったが訪問診療&訪問看護にて「東京の娘さんは来ないでください」と言われたこともありました。父が亡くなる直前まで堂々帰省できなかったです。周りに拒絶する人はいませんでしたが世間では今日は○○人!と大変な時でした。

Alexa Echo Show5導入し画面越しに二人と話をしました。隣の市に住む親戚の叔父さんも通院に協力してくれました。

親の介護は子供がやるのが当たり前?2020年父が他界。

2023年、母も抗がん剤治療を続けており、一人になって精神的に心細さで

「帰ってきて」と頻繁に言うようになりました。私の家庭のことを意見するようになりました。

母は私が婿取り(妻氏婚)だから家を継ぐ、責任があると思っています。

「娘ちゃん(孫)は大学生だからあんたがいなくてもいいじゃない?」「離〇してこっちに住めば?」「あんたに世話になるでこの家はあんたのだから。」

特養で介護主任の辞令が出た時でやっと自分なりにチームをまとめたり相談を受けたりやりがいを感じていたころでしたが、母の「早くきてや」の言葉が常に罪悪感を感じていました。

思い切って退職して単身で実家近くの老健に派遣社員で働くことにしました。

しかし仕事はこなしましたが、ホームシックになり2か月で退社。この時こそ自分も家族に支えられてこその自分なんだと思ったことはありません。母ももちろん家族ですが仕事から帰り、家でも疲れてしまう、ずっと離れた生活をして同居は難しい。自分まで鬱々として自分ではなかったです。どんなに大変でも通うことに決めました。夫や娘と過ごすと頑張れるからです。

2024年から月3回の遠距離介護始まる。

2024年~有料老人ホームで週1.2回の夜勤専従介護士で働いています。夜勤明け後に静岡の実家に通い実母の世話をしています。

一緒に住んであげられないことにいまだに罪悪感を感じながら、立ち止まり、振り返り、前に進む。周りの方に支えられながら母の介護しています。